第76回
「それにしても、あのふたり何をあんなに一生懸命はなしてるんだろうね。」イボのある女が言った。 「噂では、なんでも悪魔とか天使とかの話をしてるそうだよ。」 「なんだい、そりゃ?」 「知るもんか。どうせさみしいやつらが考えることさ、死ぬ前に天使にでもなる相談でもしてるんじゃないのか?」 「あたしがちっちゃな時、婆さんがよく言ってたけど、天使になるには毎晩寝る前に神様にお祈りしなくちゃならないそうだよ。それも毎日子供のときから死ぬまで欠かさずしなくちゃならないようだよ。」 「なんだ。けっこう簡単な話じゃないか。」 「ばかだね、あんた。毎晩だよ?眠たくても病気でも酔っ払ってても死ぬまで一日も欠かさずやんなきゃならないんだよ。あんたみたいなのにできるわけないよ。あたしの婆さんの話だと、ひとりだけあともう少しで天使になれたかもしれないって人がいたそうなんだよ。その人は酒も飲まないような真面目な男だったそうだけど、たったの一日だけ孫の結婚式の日に水と間違えて酒を飲んで、昼と夜を間違えちまって祈るのを忘れてしまったんだって。気の毒な話だよまったく!あともう少しで天使になれるってとこだったのに。その人はそれこそものも話せないようなちっちゃな時から、親に寝る前に祈るようにしつけられていたそうなんだよ。それがたった一日間違えて飲んだ酒のせいで祈らなかったばっかりに、天使になりそこなったんだって。でもその人が死ぬとき初めて気付いたそうなんだけど、背中からはニワトリくらいの大きさの羽がはえてたんだってさ。本当にあともうちょっとだったんだろうね。」 「天使のなり方は知らんが、悪魔のなり方なら知ってるぞ。」白髪の男が自慢げに胸をそらした。「あんたらは平和ボケに暮らしてたからわからんだろうが、戦場で人を殺そうと向かって来るやつの顔はそれこそ悪魔そのものだよ!」 「またあんたの戦争話しかい?よっぽど血に飢えてるか、品性が下劣なんだよ。」 「なに?あんたらがこれまで平和に暮らせてこれたのも、俺達が命がけで戦ってたからなんだぞ。」 「別に誰も頼んでやしないよ。それに誰かが言ってたよ。あんたは、本当は戦場で単なる食事班だったって。戦場からかなり離れたところで飯つくってただけだそうじゃないか。」 「誰がそんなこと言ってたんだ?これを見てみろ!」白髪の男は自分の左腕の袖をまくりあげた。「これが見えるか?この傷はな、俺が最前線で戦ってたとき敵から受けた傷なんだ。連戦連勝で俺たちがある島を占領しかけてたとき、追い詰められた敵が前後のみさかいなくむちゃくちゃに突進してきたんだ!」 「あんたのこそこけて擦りむいた傷なんじゃないのかい?ヒ、ヒ。」瓜実顔の老婆が欠けた歯を見せて笑った。 「この恩知らずめ!あんたらみたいなやつらのために、俺たちが命がけで戦ってたのかと思うと腹が立つよ!感謝こそされ、けなされる筋合いはまったくないね。」 「これだから戦争屋は嫌なんだよ。押し付けがましい!戦争好きは単に人殺しがしたかったか、英雄みたいにあつかってほしかっただけなのに、感謝ばっかり要求しやがって。あんたも少しは天使になる努力でもしてみたらどうだい?それだけでもずいぶん罪滅ぼしになるさ。もしかすると今からでも死ぬときにはチョウチョウくらいの羽でもはえてるかもしれないよ。へ、へ。」
0 Comments
Leave a Reply. |
木鳥 建欠
|