第74回
反対に詩人が掃除婦に話した、ここ数十年間の詩人の歩みもけっして平たんなものではなかった。驚くべきことに、詩人はその長い伝道生活のなか、ただのひとりとして神の教えを普及させることができなかったのであった。無信仰者に信仰を持たせることができなかった。誰一人として詩人の言葉に心を動かされなかったばかりか、関心を向けさせることすらできなかったのである。そのため詩人は毎夜、魂を救済することができないふがいない自分を神に詫びなければならなかった。もちろん詩人に熱心さが足りない、と言うわけではなかった。彼の聴衆には、詩人の熱心さやさらには誠実さも伝わっていた。事実、彼の町での評判はよかったのである。しかし信者はひとりとして増えはしなかった。そして同じ相談所にいたカルタは、信者が増えないことを詩人のせいにして、ある日別の町での伝道活動を理由に、突然詩人から離れていった。 ひとりになった詩人は町を出る決意をし、いろいろな土地に移動しては、神の教えを説いてまわることにした。詩人は特に、山奥にある年中霧がかかる水没したような村や、交通機関が途絶え世間から遮断されている寒村など、過酷な土地ばかりを選んで布教にいそしんだ。しかし結果は同じだった。どこへ行こうと誰も詩人の話に耳をかたむけなかったのである。どこに行っても詩人はまず疑いの目で見られた。過疎の村に住む人々は、たまに来るよそ者は決まって喜捨をせがんでくる僧ばかりだったので、詩人のことを信用しなかったのである。さらに詩人にとって障害になったのが、人々の長年の生活の苦労からくる倦怠感であった。人々は決まって「祈ったってどうにもなりはしない」と思い、「愛だけで生きていけるわけがない」と投げやりになっていた。そして彼らは信仰と引き換えに、石をパンに変え、砂を水に変えることを詩人に求めた。何もかも全ての疑問を一挙に解消してくれる「奇跡」がなければ誰も納得しようとしなかったのである。 「こんなにひどい生活をして、なんで神に感謝しなくちゃならないんだ?」片腕を漁の最中に失い、それでもまだ海に漂う薄いスープの具みたいに少ない魚を獲りつづけなければならない歯の抜けたおいぼれの漁師が言った。 「本当に神はわしみたいなのがこの世にいるのをしっとるのかね?」病気で体が麻痺し、村人から食糧を与えられなくなった痩せこけた若者が、寝そべったまま見えない目を宙に漂わせながら言った。 彼らにはまったくわからなかった。それはまるで彼らとは違う言語を使っているようなもので、詩人の言うことは何一つ理解されなかった。そして詩人は常に挫折を味わった。自分の前に据えられた事業が、とてつもなく困難なものだと思い知らされるたびに詩人は、誰からも見放されたような寂しさをあじわった。そのような過酷な生活を何十年と送った後、詩人はある町で病気になり、この施設に送られてきた。
0 Comments
Leave a Reply. |
木鳥 建欠
|