第23回
「じゃあ人間ってどうやって発展してきたのかねえ?」眼鏡の老婆が、独り言のように訊ねた。 「おおかたわからないことをわからないと正直に言った、偉いお人だろう。」 「偉い人にわからない事なんてあるのかい?」 「知らないよそんなこと。偉い人に聞いてこいよ。」 「きっと『知らない』って答えられるだろうねえ。」そばにいた者がくすくす笑いながら言った。 「その前に人間って発展してきたのかな?」 「知るもんか、そんなこと。」 その時娯楽室の扉が開いた。そこにはうそつきが不服そうに立っていた。すでに室内着に着替えており、糊のきいた袖からは細く筋張った腕がカメの首のように突き出ていた。皆は話をいったん止めて、視線をいっせいにうそつきの方に向けた。見られている方はうつむきながら、誰にも聞こえないくらいの声でぶつぶつとつぶやいている。背後には帽子が立っていた。帽子はぞんざいにうそつきを部屋に押し入れると、はき捨てるように言い添えた。 「仲良くしてもらうんだよ。」 そして大きな音をたてて扉を閉めた。残されたうそつきはまだ動かずに立っていた。誰も話しかけるものはいなかった。ラジオでは、相談員が言語の本質について語っていた。いわく、言語とは一般的に考えられているように、一方から一方へと、個の中に隠された意思を相手に伝達するための道具ではなく、もっと行動や環境と密着した生活の習慣の一部である。つまり言葉とは、洗練された便利な道具などではなく、例えるなら体から染み出てくる垢のようなものである。体のないところで垢は存在しえない。例えば、生活や環境から切り離された単語─『りんご』または『いす』─は言語的に何の役割も持たない。生活の中で使われて初めて役に立つのである、云々。 うそつきは視線を避けるようにしながら、皆から少し離れた所にゆっくりと腰をおろした。
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木鳥 建欠
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