第22回
坊主は駅長と並んで座ると、近くに小さな体を縮めるようにして正座している老婆に、何があったのか訊ねた。老婆は、小さな顔にはめた大きな眼鏡を鼻に掛けなおしながら答えた。いわく、ある少年がこのラジオ番組に、学校でわかっていないのにわかっている振りをしてしまう、という相談をしてきた。この少年は今まで、理解していないということが恥ずかしくて言えず、いつも理解しているような態度をとってきたが、内心はいつ暴かれてしまうか、とびくびくしてきたらしい。幾度となく少年自身、正直になろうと淡い志しを立ててみるのだが、クラスの大半が当然のごとく理解しているのをまのあたりにする度に、怖気づいて彼の決心は脆くも崩れてしまうのだった。そして少年はいつまでたってもウサギのごとく、小心に虚勢を張ってしまうらしい。これに対し番組の相談員は、この消極的態度のいかに不毛であるかを切々と説いた。いわく、人類の発展は、ひとえにこのわからないということに刺激された飽くなき探究心のおかげで保たれてきたのである。探究心は新しい発見へと導き、さらにその発見が礎となってまた新たな探求へと人類を駆り立てるのである。倦むことなく継続されてきた、人類の長い歴史における探求と発見によってあらゆる困難を克服し、いまある高度な文明にたどり着けたわけである。つまりこのすべての発展の根幹にあるものこそ、この不可解なものに対する謙虚な態度なのであって、これを否定することはすなわち人類の発展の動機を捨てるに等しい。祖先が築いてきたこの大伽藍の恩恵に浴している我々は、さらに高い文明に向かうための第一歩となるべき『わからないということを認識する素直な心』を捨てるべきではない。我々に定められた重大な義務を前にして恥じている隙は一寸もない、云々。 この相談員による返答に気圧された少年は、相談員の「わかったか?」という問いに対し、「わかった」とだけ答え、負け犬が逃げるように受話器を置いたらしい。 「でもねえ、」この大きな眼鏡を掛けた小さな老婆は、自分の孫をかばうような口調で言った。「理屈ではわかっても、わからないと言うのはやっぱり恥ずかしいことだよねえ。」 番組ではすでに次の質問に移っており、そこでは幼い女の子が、ゴリラは人間と喋ることができるのかどうか訊ねていた。彼女は、ある閑散とした動物園に行ったとき、檻の中でゴリラと飼育係がなにやら親しげに喋っていたのを見たのだという。そこでゴリラは気落ちしている飼育係の肩をなぐさめるようにたたいていたらしい。 「でも恥ずかしがってばかりいたって、この先どうにもならないよ。」瓜実顔の老婆が、眼鏡を掛けた老婆の言葉尻をつかんで言った。 「しつこいババアだな。別にいいじゃねえか、恥かいて生きていったって。」白髪の男は面倒そうにつぶやいた。 「あたしはこの子のために言ってんだよ。ラジオででも言ってただろ、人類の発展のために、わからないことはわからないと認められる態度が必要だって。」 「人類の発展なんて、誰か別のやつがやってくれるさ。」 「へ、へ。むかしいたある偉い坊さんに言わせると、人間のほとんどは根っからの泥棒か嘘つきらしいですよ。」坊主が横から話しに入っていった。「あんまり期待しても無駄かと思うけどね。」
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木鳥 建欠
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