第201回
駅長は、娯楽室に入った時からずっとうわの空でこのラジオ番組を聴いていた。ものを考えようとすればするほど、いろいろなことが頭の中を通り過ぎて行き、そのどれに対しても焦点を当てることができなかった。しかし時おりうそつきが駅長に対して話しかけたそうにちらちらと横目で見てきているのには気づいていた。坊主も何度か心配そうに駅長に話しかけてきたが、駅長はあいまいに短く返事をするだけだった。窓の外を見ると、冷たく澄んだ空気を切り裂くように雲雀が旋回していた。雲雀が飛ぶその向こうには広い空があった。範囲こそ限定されてくるが、見ようと思えばまだいろいろなものを見ることができ、話そうと思えばいろいろな人といろいろなことについて語り合えるような気がして、駅長には死ぬまでにまだ永遠の時間が残されているように感じられた。目前に迫った寿命が実感できなかったのだ。体調もすこぶるよかった。時おりまわりから聞こえてくる『魂』という言葉に触発されて、ふと今詩人の魂はどこでなにをしているのか、という考えが頭をよぎった。すると先ほど自分の部屋の窓から見た、青い空に上っていく煙を思い出した。しかしこのことはすぐに忘れてしまい、次に聞こえてきた女の子の泣き声で、なぜか昨夜手紙で読んだ、山奥の小屋で下半身が動かなくなってしまった掃除婦のことを思い出した。そしてこの呪われたような人生を送った掃除婦の魂は今どこでなにをしているのか考えてみた。 ふと駅長は不安になり、自分にも皆と同じように魂があるのかどうか問いながら、自分の胸をさすりだした。もしあるのなら、もうすぐこの奥にある魂が自分の身体から抜け出ていくはずである。坊主と詩人は数日前、この世は肉体に宿った魂を美しく磨き上げるためにある、と断言していた。駅長は自分の魂が煙のように空へと向かって上がっていくのを想像した。自分の魂はこの世できちんと磨かれたかしら?駅長には自信がなかった。 駅長が呆けたように窓の外をながめていると、番組では最後の質問へと移っていた。それは『祈り』についてだった。電話をかけてきたこの少女によると、今からひと月ほど前、突然家に押し寄せてきた『おおきな大人』二人に父親が連れ去られてしまったらしい。以来母親が毎日夜遅くまで父親を探しに出かけていくことになっていた。母親が出かけている間中この少女は、妹と一緒に留守番をしながら、またあの『大きな大人』がとびらを開いて押しかけてくるかもしれないと、震えながら妹を抱き寄せて母親の帰りを部屋の隅で待ちつづけた。そして待っている間、少女はやっと言葉が話せるようになった妹と、母親から教わった神にささげる祈りを何度も何度も繰り返して、父親が無事に戻ってくるよう両手を合わせて祈ったのであった。毎日祈りながら少女は、今頃母親は町のどこかで父親を見つけ、歓喜の抱擁を交わし、満面の笑みを浮かべて歩くのももどかしそうに少女たちに会うのを楽しみにして、家まで帰ってきている途中なのだ、と想像した。今もうまさに父親はこの家に向かって歩いてきているのだ、と心をはずませながら想像していた。そして夜中母親の足音が聞こえ、ドアのノブに手をかけてまわしているとき、少女は目をかたく閉じて一日で一番一生懸命になって祈るのであった。そんなとき少女は決まって、もうすぐそのドアの後ろには、父親が少女たちをおどろかせようといたずらっぽく笑いながら立っていてくれるように、と祈った。そして父親が入ってきたならば、まず妹に先をゆずって父親に飛びつかせ、その後ろから父親に向かって、もう自分ひとりで神にお祈りすることができるようになり、毎日きょうのこの日まで父親が無事に帰ってこれるよう、妹と一緒に祈っていた、と告げようとまで考えていた。しかしとびらから現れるのは決まって、くたびれ果てた母親の顔であった。『神様にどれくらいお祈りすれば、願いが通じるのか』という質問を少女は寄せてきた。
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木鳥 建欠
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