第15回
駅長はいまいち得心がいかなかった。老衰が悟りの境地、という考えがどうも上手く頭の中で溶けてくれない。とげのある岩のようになじんでくれない。悟りというものが、そんなに簡単に会得できるものとは考えてもみなかった。しかし悟りを開いている、と曲がりなりにも坊主に言われると、悪い気がしないでもない。不思議と背筋が伸び、言動が尊大になってくるように思われる。なるほどこれが無我の境地か、と思うと何となくありがたい。煩悩を絶ったのなら、人生残りの三日間することがないのもうなずける。何かすることが見つからないのじゃなくて、悟りを開いたものはすべからくすることがないのである。そして四日後に、仏陀のとなりで蓮の葉の上に座り、蓮の花の開く音を聞きながら瞑想している自分を思い浮かべ、ばかばかしくなって止めた。だいいち、自分自身が悟りを開いているのなら、この建物にいる人間大半は悟っていることになる。確かにここの人間は羊のようにおとなしいが、平常心を保っておとなしくしているのではなく、重い荷物を運ばされた奴隷のように、心身ともに疲れきっているだけなのだ。後光が射すようなありがたさは微塵も見られない。むしろ沈鬱な陰を彼らは背負っている。 駅長は食事もそこそこにして席を立った。最近は味覚と一緒に満腹感もなくなってしまっていた。詰めれば詰めるだけ入る。いちど駅長は腹が異様に膨れるまで知らずに食べつづけたことがあった。反対に空腹感もない。だから駅長には、食事の行為自体が無駄に思えてきていた。食べても食べなくとも満足もないし不満もない。毎回の食事も儀式的に摂っているだけで、少しだけ食べるとすぐに席を立ってしまう。 駅長は坊主に軽くあいさつをして、食堂を出た。坊主はとなりに座る老婆に、あの世の風景や匂いについて熱心に話し込んでいた。坊主いわく、あの世には、無限の空間に雲と霞しかなく、蓮の匂いがうっすらと漂うだけらしい。 駅長は部屋に戻ると、することもなく、窓の外を眺めた。昨夜咲いた木蓮の花は穏やかに開いている。隙間だらけの枝をとおして見ると、透けて見える薄い雲が遠くにかかっている。無駄な希望を起こすような爽やかな朝の空が、駅長を悲しくさせた。
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木鳥 建欠
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