第14回
駅長は、坊主に昨夜あった話を聞いてもらおうと思った。そして見知らぬ影がやって来て、三日後の寿命を宣告していったことだけを簡単に伝えた。 「それで、」坊主は興味深げに尋ねてきた。「その影は、どんな格好をしていた?」 駅長は、影は文字通り影で何も見えなかった、ただ大きなマントを頭から被っていて、白い両手に杖を持っていたことなどを話した。そしてその杖をつくと、突然嵐が起こったり止んだり、物が自在に動き出したりする、と付け加えた。坊主はいつになく神妙に聞いている。駅長が、昨夜突然嵐が吹いたのを聞いたか、と訊ねると坊主は難しい顔をして頭を撫でながら「知らん」とだけ答えた。 「それでそいつは確かにまた影の中に帰って行ったのか?」 駅長はうなずいた。 「ほかに何を言っていた?」 年寄りについて何か言っていたような気がするが、おおかた忘れてしまった、と駅長は答えた。 「で、次はいつ来るんだ?」 駅長は、おそらく三日後だろう、と答えた。坊主はやっと堅苦しい顔をほどいてにやりと笑った。 「人の寿命がわかるなんて、やっぱりあの世からの使いなんだろうな。ということは、あの世というのは存在するということじゃないか。ひ、ひ。これで頭を丸めた甲斐もあったというもんだ。」坊主は両手を揉み合せた。「こっちじゃあさんざんな目にあったんでね。ひとつ次の世に期待させてもらおうかな。ところで駅長さん、あんたあと三日の命なんだろう?もう覚悟みたいなのはできたのかい?こんな世の中とお別れするんだ。まさか名残惜しいわけじゃあないだろう?」 駅長は、名残惜しくしないために残された三日間を有意義に過ごそうと思ったが、どうもやりたいこともないので困っていた、と正直に答えた。そして、おそらくこのままいつも通りの時間を過ごして、三日間を暮らすのだろう、と付け加え、それとも何かした方がよいだろうか、と訊ねた。坊主は腕を組み、なにやら唸り声をあげる。 「そうだ、今日はひとつありがたい説話でもといてやろう。むかしお釈迦さんは天上界というところに住んでたらしい。しかしある日わざわざ人間界に降りる事を決心した。なぜだかわかるか?人間界で揉まれて魂を鍛えるためさ。つまりお釈迦さんも、この研磨機みたいな人間界は、魂を磨くためには格好の場所だと思ったんだろう。そして女人の誘惑を断ち、地位や名誉を拒み、脅迫にも屈しなかったとき悟りを開かれたそうだ。いいか、俺達も長い間生きてきて、世間で魂が揉みに揉まれてきたん。肉体的にはもう、圧搾機を通ってきたみたいにしぼりかすみたいになっちまった。若い頃のような脂ぎった欲望はもう何にも残ってない。駅長さん、あんたの言った通りもう何にもやりたいこともない。ただ棺桶に入るまで阿呆みたいに飯を食らって寝るだけだ。そして残っているのは死だけだ。つまりこの無欲の状態が悟りの境地なんだよ。俺達もやっと煩悩を断ち切れたわけだ。だから駅長さん、あんたは悠々とあの世に行く準備でもしていりゃいいんだ。」
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木鳥 建欠
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