第133回
いずれにしても、弟がこんなにも簡単に敵の罠にひっかかってしまったのは、あるいはあまりにも失政のくやしさが大きかったせいなのかもしれません。つまり、小さな人間が自分を大きく見せたいと願うように、みじめな境遇に追われている弟は少しでも早く他人を見下せる場所に戻るために焦り、まわりが何も見えなくなっていたのだと思います。そういう意味では弟はとても幼い人間でした。みえっぱりな人間が人前でころんだときに、その失敗をとりつくろうため余計に滑稽なものになってしまうように、弟も落ちぶれた自分をなかったこととしていっしょうけんめいにその場をとりつくろおうとして足もとをすくわれたのでした。 弟は本のなかで『平等の精神は毒のようなもので、いったん体の中に入れてしまうともう取りのぞくことができない』というようなことを書いています。この考えについては、弟と何度か話しあったことがありました。弟が言うには、この考えに取り付かれてしまうと、他人よりも多く持っているものは持っていることに対して常に罪悪感を感じ、自分を卑屈にしてしまうのだそうです。たとえばお金を持っているものが持っていないものたちに対してうしろめたい気持になったり、地位あるものが必要以上に自分を低く見せようとしたり、といった感じにです。これは弟に言わせると手かせ足かせのようなもので、健全な人間を不健康で病弱なものにしているのだそうです。力を誇示し征服したいという欲求を押さえつけて不自然なやさしさや思いやりなどを無理やりに作りだすことにより、その正直さに欠けるわざとらしさからその人間の内側に病的などす黒いものを湧き立たせ、その人の精神を腐らせるのだそうです(弟はこの世の大半の憐れみという感情は不誠実から生まれていると断言していました)。だから反対に弟は、他人をふみつぶせる思想を普及させるべきだと言い張りました。ふみつぶすことに罪悪感を感じなくてもよい世の中が必要なのだと言っていました。そうすることによって手足のかせをはずされた人間はもっと自由に力強く人生を歩んでいけるのだと。
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木鳥 建欠
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