第132回
第4章 詩人は本を読み終えると、深くため息をついた。時間はすでに昼前の散歩の時間になっていた。毎朝の日課となっているラジオ番組を聞き終えた施設の住人たちは、昼に近い午前の温かい陽光に満ちた、建物の前に広がる芝生の上へとそれぞれのろのろと散らばっていった。詩人はそれを見つめながらまたため息をついた。そして読後感の疲れを振り払うために両目をごしごしとこすり、掃除婦の書いた手紙の続きを読んだ。 …わたしはこの冊子を拾い上げると、もう弟の方を振り返ることなく小屋まで急いで帰りました。まんまと敵の罠にはまった弟を思うとあわれでもありました。弟は自分で思っていたほどすぐれた人間ではなかったのです。これはもう誰の目にもあきらかなことでした。ただ弟は、人間をさげすむ思想に取り付かれ、自分は大多数の人間をさげすむことのできる選ばれた人間と思い込んでしまったのでしょう。たまたま知事という地位を得たために、たくさんの人間を動かすことのできる地位を得たために、この思想の毒におかされたのでしょう。でも敵の手にたやすく乗ってしまったことでもわかるように、弟は根は善良な平凡な男なのでした。 拾い上げたこの冊子の内容は、海での漂流を余儀なくされたある王の苦難を描いたものです。あちこちに弟の思想がちりばめられています。あちこちに弟の他人に対するさげすみが感じ取られます。この王はある裏切り者のために失政し、漂流に流されてしまうのですが、この境遇に追っ手に追われて逃げかくれている自分を重ね合わせていたのでしょう。この王は執拗なしぶとさでもって裏切り者に対する復讐の機会を狙っているのですが、その執拗さは自分よりも劣っているものに足もとをすくわれたという、この王にとっての耐えがたい屈辱をエネルギーに変えてたもたれています。そしてこれはまさに弟が常に持っていたエネルギーでもありました。弟はそのくやしさをこの本を書くことによってまぎらわせ、想像の世界で憂さを晴らしてみせたかったのでしょう。この本はちょうどこの王が漂流から逃れ、再び陸に立ち上がったところで終わっています。ここから弟はどんな話を想定していたのか、わたしには定かではありません。もしかすると、ここから先は知事の地位に復帰すると信じていた自分の人生で続けるつもりだったのかもしれません。
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木鳥 建欠
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