第131回
どれくらいの月日がながれたのだろうか?王にはもう想像もつかなかった。広い空に陽が昇り沈む単調な日々がここでの生活を無限に感じさせた。変哲のない日々が王の感覚を麻痺させた。そしてある長い雨が続いた夜、バターが老衰で死んだ。最後の日々、バターはもう巣から動き出すこともできず、もの憂げな目で話しかけてくる王を見つめかえしていた。動かなくなったバターを真新しいシーツに包んで最近流れ着いてきた比較的きれいな部屋に安置してやり、栓を抜いていっしょに沈めてやった。そして沈んでいく部屋をながめながら王は思った。わしもこんなふうにいずれここで死んでいくのだろうか?知らぬ間に、数え切れないくらいの日々がすぎていっていた。でもわしはどうすればいいんだ?憎々しげにこの呪わしい渦をにらんだ。たのむバター。なんとかわしをここから出してくれ!バターを入れた部屋が海面から見えなくなると、王は両手を合わせて強く念じた。 王の執念深い祈りが天に通じたのか、その翌日から水平線上にどす黒い雲がもうもうと湧き出し、強風が吹き始めた。しめた!でかしたぞ、バター!王は遠くから近寄る巨大な黒い雲を見ながら叫んだ。夕刻には雨がよこなぐりになり、波は部屋を飲み込むくらいに大きくうねりだした。かたまりあった部屋が騒然とぶつかり合い、壁が砕け破れる音が聞こえてきた。ついに来たか!ついにこの日が来たか!この渦からぬけ出すための絶好の機会が到来したと思った王は、揺れる部屋のなかで寝台にしがみつきながらよろこんだ。しかしこの嵐は王がいままで経験したものと比べものにならないくらい強大なものだった。反動をつけた波は王のいる部屋を持ち上げるだけではなく、巨人の口のように開かれた波の底まで投げ飛ばし、また吹き荒れる風は部屋を波の上でさいころのように転がした。王は床に固定されている寝台にシーツでしっかりと自分をつなぎ、天井の穴から海上に投げ飛ばされないようにしたが、回転する部屋のなかで何度も気を失った。断片的に気を取り戻すたびに、死に物狂いになって寝台にしがみついた。チクショウ!死んでたまるか!もう少しの辛抱だ!もう少しの辛抱だ! 何時間もつづくこの激しさに、しまいには壁は打ち破られ天井は吹き飛び、間断なく波が王におおいかぶさってくるようになった。寒さに震え、寝台に自分をくくりつけた王は、息ができないくらいに波に打たれ、もう自分がどこにいるのかもわからなくなってきた。ただ生き延びることだけを、生き延びて陸にもう一度あがることだけを念じつづけた。 一昼夜つづいてもまだ止む気配をみせない嵐のなかで、寒さと疲労に王は高熱におかされてしまった。王は天井を吹き飛ばされた部屋のなかで、荒れ狂う波にもてあそばれながら悪寒に苦しんだ。悪夢のなかで王は巨人にふみつぶされていた。その巨大な足を払いのけるには、王の存在は矮小すぎた。全力で押し戻してみても、ぴくりとも動かない。やられるがままに王はなす術もなくふみつぶされていた。王はくやして叫び声をあげるしかできなかった。また別の悪夢では、王が三頭のイルカをあやつって陸地に向かって海面を疾走しているとき、突然海がたらいをひっくり返すようにめくりあがって王を投げ飛ばし、光の届かない海の底まで突き落としてしまっていた。王は恐怖の中、自分の力ではどうにもならないものを感じた。進んでも進んでも、王の偉大さや強さをまったく無視して簡単にはじき返してしまう巨大な壁を感じた。チクショウ!チクショウ!王は自分のふがいなさをくやしがった。 次に気づいたとき、王は仰向いてまぶしすぎる太陽の光から逃れようとしていた。しかし体が思うように動いてくれなかった。まるで泥の中に体がとらわれているように、カメのようにゆっくりとしか体が反応しない。まぶしい光をさえぎるために、手のひらを両目の上にかぶせるだけで息切れした。口のなかはかさかさに渇き、空気がうまく通過しない。しかし何か懐かしい音が響いていた。いま聞こえてくる波の音が懐かしく感じられた。何が起こっているんだ?体は疲労の極限にあったが、心は落ち着いていた。どうなっておるんだ?王は不思議だった。波の音がするたびに、仰向けに寝転んだ王の腰のあたりまで波が押し寄せてきていたのだ。背中にあたっているのが木の床でないことに気づくのに、かなりの時間がかかった。それは細かな砂だった。砂の上にいることに気づいた王は、するどい針で刺されたように体を縮めた。ゆっくりと体を起こし、両手で砂をにぎりしめた。慣れてきた目で見えたものは、砂浜の風景だった。そしてそれは王のまだ見たことのない砂浜だった。波打ち際には、いくつかの部屋の残骸が散乱していた。その部屋の住人は生きてここまでたどり着いたのだろうか?ここは約束の地なのだろうか?生きているのはわしだけなのだろうか? 王の新しい復讐がここから始まるのだろうか?王は久しぶりに自分の二本の足で陸の上に立ち上がった…。
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木鳥 建欠
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