第129回
朝陽がのぼると王は、慎重に音をたてないようにして部屋から忍び出た。部屋は王の箱をのぞいて五つあったが、そのうち三つはまだ原型をとどめていたが、他の二つは天井が破れ、壁は腐り、部屋の中には何も残っていなかった。そのまま王は足音をたてないようにすぐとなりの部屋の天井に乗り移り、窓から部屋をのぞきこんでみた。しかし中からは目がしみるような異臭が溢れ出しているだけだった。なかには元の顔がわからなくなるくらいガスが充満して膨れ上がった死体が転がっていた。もうひとつの部屋には隅に白骨死体があり、そして最後の部屋にはどういうわけか人がいた形跡もなく、すべてのものが真新しかった。王の予想通り誰もここまで生きてたどり着けていなかった。 王は携帯していた骨を使って天井を破り(板は難なくはがれた)、各部屋の中のものを物色した。しかし異臭を放つ死体のある部屋は、耐えがたいにおいを部屋の外にまで発していたので、床の栓を抜いて部屋を沈めた(中にあった死体は、ガスが充満していたため王の破り入った天井からすり抜け海面にまで浮かび上がってきたが、それは幾日もすると鳥がやってきて肉をついばみ、その日の内にまた沈んでしまった)。白骨死体のあった部屋の中は、その住人の苦悩をあらわしていた。部屋の壁の一面には、漂流中の日数を記すキズが刻まれていたがその数は五十もなく、あとは壁一面におそらく額をぶつけたであろう跡の血痕が滲んでいた。死体は猫に追いつめられたネズミのように、おびえたように隅のほうで自分の両足を両腕で抱え込んでいた。この部屋の住人は、出発時に与えられた食糧以外はなにも獲った形跡はなかった。食糧がなくなる不安と、大海原に漂う孤独さに耐えられなくなったのだろう。部屋の壁の隅には、稚拙な海に浮かぶ帆のついた舟の絵と、大きな山のある陸が描かれてあった。最後の部屋には蒸発した樽の中の水以外、すべてが出発時そのままに(食糧の固いパンも、たらいも)残ってあった。しかしよく見ると小さな窓の縁が壊れてあったので、おそらくこの住人は刑が執行されてまもなく器用にこの窓からすり抜け、海に飛び込み、岸まで泳いで戻ったのだろう。この小さな穴から抜け出したのなら、もしかするとこの受刑人は子供だったのかもしれない。王は何人もの子供もこの漂流の刑に処したことがあったのだ。しかし王のいた国の近海は潮の流れが速いので生きて戻れたかどうかはあやしかった。 王は、何度も漁をするために浸水させ壁の傷みのはげしい元の部屋から、まだ誰も住んだことのない比較的新しいこの部屋に移り住むことにした。そしてここにいるあいだ、元の部屋を漁をするときだけに使うことに決めた。バターを新しい部屋に引っ越しさせると、王はこれからの対策を考えた。半径数キロにわたる渦の真ん中にいるこの状況を考えると、推進力を持たないこの部屋に脱出する可能性は見当たらない。王はいちど豊富にある材料を駆使してオールを作ることを考えてみたが、櫂として耐え得るくらい丈夫な材料がなかった。シーツを帆として張ることも考えたがやはり、帆も帆柱も荒波をこえていくくらい丈夫ではなかった。脱出するめどが立たない王はいら立ち、あらゆる可能性を検討し、イルカを調教して馬車のように部屋を引かせることまで考えた。
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木鳥 建欠
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