第115回
王はやぶれた天井から青空をにらみ、生唾を飲んで樽にのぼり穴のふちに両手をかけた。壁を壊さないよう慎重に体を持ち上げ、穴から頭を出してみた。部屋がすこしかたむいた。しかしこの箱の下部に張りめぐらされた鋼鉄による復元力のおかげで、部屋は転倒しなかった。箱の外ではさわやかな風が王の頭上を通り過ぎていった。それから葉の上にのったさなぎからぬけ出す蝶のように、王は両手でけんすいをするように体を持ち上げてゆっくりと上半身を箱から外に出すと、きしみに注意を払いながら体重を天井にのせて両足も外に出した。抜け出ることに成功すると王は波で揺れる不安定な箱の上から転げ落ちないように天井の中央まで両肘をつかって這いすすみ、そこでぐったりとちからつきたように箱の上に寝そべって動かなくなった。長いあいだ外に出なかったので、ふりそそぐ太陽の光の量に圧倒され、目をあげることができなかったのだ。じりじりと光の熱が王の肌を焦がしているのを感じた。光とはこんなにまぶしいものだったのか!顔をふせながら王は感激と怖れを感じながらつぶやいた。熱した肌を冷やすように部屋のにおいのまじらない新鮮な風が吹き抜けた。部屋の中と外ではこんなにもちがった風が吹いているのか!王は驚きながらつぶやいた。産まれたての子供が胎内から出てはじめて下界と接触をもったときのように、王は世界との関係をすべてはじめからやり直さなければならないのだ、と感じた。 王はおそるおそる顔を上げてみた。ゆらゆらと揺れる箱の上で腹ばいになって見たその風景は、生き物のまったくいないどこまでも続く海だった。王はこんなにも孤独を実感したことはなかった。四方どこを向いてみても海面が広がっており、水平線は海面からわく蒸気のせいでくすんで判別できず、距離感をつかませない。こんなにも長い時間、こんなにも広い所でわしはひとりだったのか。四方の壁を取り払われた王はつぶやいた。部屋の中にいる間は、美しい妄想にとらわれる囚人のように王の想像力も一人歩きしていて、現実を忘れさせていたのだ。部屋の中での船酔いの苦しみや、食糧や水を確保するための戦いに忙殺され、大海原にひとりで浮かんでいることを忘れていたのだ。こうしていまひとりで箱の外に出てみると、部屋の中での生存をかけたすべての努力が茶番に思えた。こんなにも孤独だったのである。言葉を交わす相手は見わたすかぎりどこにもいない。こんなことなら箱の外に出るんじゃなかった。王は後悔した。知らなくてもよいことはあるんだ。しかし、ここにはさわやかな風が吹いている。それにいくら茶番だとしても、部屋に帰らなければ飢え死にしてしまう。王は打ちのめされたように箱の中に帰っていった。王が王であるためには茶番も必要だったのである。部屋にもどって四方を壁に区切られると王はとたんに元気をとりもどした。そして部屋の中での仕事が茶番とはとても思えなくなった。それから王は、よほどのことがないかぎり外に出るのは控えよう、と決心した。
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木鳥 建欠
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